「済生」とは命を救うこと

明治時代の末期、日露戦争の戦勝国として「成金時代」という好景気にわいていた一方で貧富の差は広がり、低所得者層が満足な医療を受けられない状況であった。
このような中で、明治44年2月11日、明治天皇は、時の桂太郎総理大臣を召され、万人に医療救護の手をさしのべ、永く国民に利用させてもらいたいという旨の「済生勅語」と「御手元金150万円」を下賜されました。
これが恩賜財団済生会創設の発端になります。
勅語の下賜から約3ヶ月後の5月30日、法規の手続きを完了し「恩賜財団済生会」が正式発足します。
そして、大正3年2月19日に勅令18号が発令され、済生会の救済事業は都道府県庁に委嘱して執り行われることになり、「半官半民」の性格を持つ事業として位置づけられました。


済生勅語の大意

私が思うには、世界の大勢に応じて国運の発展を急ぐのはよいが、我が国の経済の状況は大きく変化し、
そのため、国民の中には方向をあやまるものもある。
 政治にあずかるものは人心の動揺を十分考慮して対策を講じ、国民生活の健全な発達を遂げさせるべきであろう。
 また、もし国民の中に、生活に困窮して医療を求めることもできず、天寿を全うできないものがあるとすれば、それは私が最も心を痛めるところである。これらの人たちに薬を与え、医療を施して生命を救う──済生の道を広めたいと思う。
 その資金として、ここに手元金を提供するが、総理大臣は私の意をくみとって措置し、
永くこれを国民が活用できるよう希望するものである。